メンヘラリティ・スカイ

いっけな〜〜い、殺意殺意(アセアセ

トイレットペーパーは主食にできるか

平成最後の夏、いかがお過ごしでしょうか。

 

P.T.Pがテレビから流れている。

「Oh...さらば平成最後の夏よ...」

と、今年の夏から急に流行りだし何度耳にしたかも忘れてしまうほど聞いたすげぇエモい造語を思い浮かべた所で、それと同時に人生史上極めて一番最悪な夏だったな...と思案する。

今年の夏...平成最後の夏...平成...

「平和」が「達成」される...

 

いやいやいやいやいや!!!!!!!!!平和なことなんてこの夏一つもなかったんですけど!!!!!!

 

と喚きながら「平成 由来」とsafariの検索バーに表示されているケータイをぶん投げた私は、いやいやそんな筈ねぇよ^^落ち着いて平成最後の夏振り返ってみようぜ^^という極めて軽いノリで禁忌を犯してしまった。後々後悔することになっただけだった。こんな陰キャブログを読んでしまっているお前、そうだよお前だよ、どうせ貴方も私と同じように無駄な痛手を負うだけなので振り返るのはやめとけ、マジで。

そんなこんなで 

〜平成最後の夏の思ひ出〜

箇条書きにしようと思って・を出したが待て、夏って何月から何月までなんだ?

まあいいか、

 

 

〜平成最後の夏の思ひ出〜

リスカ・ODをし病院に運ばれ縫合・胃洗浄される

・連日のODのおかげで8月後半の記憶が飛ぶ

・仕事を始めてみたが出勤二日目で挫折

 

(最初の二行何処いった?)ざっとこんな感じだった。

特に何もなかったんだなぁ〜。あ〜平和なんてどこからも感じられないなぁ〜。という感想だった。くそったれな夏だったし甘ったれた夏だった。

海に行きたい!とか意気込んでいた初夏の自分を金属バットで殴りたい。

 

いっそのこと海にお前を沈めてやろうかという後悔の海(後悔と航海で韻踏んでる)を白鳥並みのバタ足で面持ちとてもよろしくない顔をしながら浪費する毎日。外へ出る時間帯は決まって夜中、コンビニへ。地面の石ころを見ながら歩き、酔っ払いのサラリーマンと肩をぶつけ合い多少ドモりながら発する「あ、すまん」が今日始めて発した言葉だという事実にハッとする。ハッとはするがどうにもできない。どうにもできないがどうにかするつもりがそもそも無い。

これを社会不適合者と呼ばずなんと呼ぼうか。

うん、陰キャだ。陰気なキャラクターだ。私は陰気ャなのだ!!!!!!!!

がんばれ!社会不適合者!社会の底辺!引きこもりニート!自分を自分で慰めるのはとても虚しい。そして寂しい。他人からの慈悲の方が幾分マシだ。マシなだけでイラッとはする。イラッとはする癖にどうにもできない現状と自分に一番イラッとする。常にイラッとしながら過ごす毎日は当然楽しくはないしだんだんと嫌気が差してくる。それが希死念慮に繋がってしまう根源なのだとすれば、早々にそれを払拭し、決別したい。

 

自我は病だと自分に言い聞かせ続けた結果、他者からの善意、愛情などを素直に受け止める事が出来なくなってしまった。自分はただ動いて喋る人形だな。いや、人形なんて可愛らしい物ではない。ただの粗大ゴミと呼んだ方が適当だなあなんて自虐的な事を思いながら今日も一人で食べるコンビニ弁当とローソンのアイス。

 

おいしくねぇんだまたコレが!!!!!!!!!!!

 

自宅に電子レンジがない為(冷蔵庫も無い)コンビニで「温めますか?」の質問に「お願いします。」とこれまた多少ドモりながら(この時が今日始めて発する言葉の場合もある)答えて受け取る温かいお弁当、家に帰ると生ぬるい。アイスなんて溶けかけだ。

これお弁当先に食べるべき?それともアイス?と2秒ほど思案したあとバリバリとお弁当の透明ラベルとアイスの蓋をあける。私はコンビニ弁当とデザート、同時派だ。ファミレスなどでは迷わず食後でとお願いする。コンビニ弁当とデザートに限り同時なのだ。つまりここで浮き彫りになる問題点は自宅に電子レンジと冷蔵庫がない事で因果的に起こる「デザートは食前?食後?はたまた同時?」という「たけのこ派きのこ派?」「富士山の正面は静岡県富山県?」並みに不毛な、そしてしょうもない論争案件、つまり問題点が出てくるのである。

 

例えば、アイスが溶けないうちにと先にアイスを選べば、せっかく温めてもらったが帰り道で既に冷めかけて生ぬるかっただけのお弁当が冷めてしまう。生ぬるいと冷めかけには大きな違いがある。死活問題だ。だったらお弁当が先だなとお弁当を選べばアイスは溶けかけではなく溶ける。溶ける、溶けて、無くなる。

どうしよう...あぁ、もう嫌だ、死にたい...

こんな些細な日常のワンシーンにさえ見え隠れする死にたさという自我はハッキリと持てるのに、他人に対する好き、嫌い、嬉しい、悲しいなどの感情だけがまるっきり私から切り離れてしまった。自我という病を根絶しようと努めてきた自分を金属バッドで殴りたい。

 

せやかて工藤、嘆いていても何かが勝手に変わっていく事はないのでこのブログを開設した。日々思った事や感じた事などをダラダラと更新したい時に更新していこうと思う。いわば此処は私の吐き溜めでありゴミ箱だ。パソコンでゴミ箱へ移動させたファイルがそのうち消えていくのと同じで、自分の汚い感情と決別できますよ〜〜〜に⭐︎

 

さて、脱線しすぎましたが「平成最後の夏」というクソエモーショナルで陽キャにピッタリな今年いっぱいで需要が無くなるであろう造語について話してたっけ?トイレットペーパーは主食にできるかどうかっていう話だっけ?まぁどっちでもいいか。

平和な夏、私には来ませんでしたけれどそれなりに、まぁ本当にそれなりに夏も生き抜く事が出来ましたのでよかったで〜〜〜〜〜す^^

平成最後の夏、メンヘラリティ・サマーでした。

 

じゃあもう眠いし疲れたので平成最後の秋に備えてチョコボール喰って寝るわ、平和な秋よ、来れ。おやすみなさい。

 

 

 

 

 

 

ps.

先日のお話です。自宅のトイレットペーパーが無くなりまして、引きこもりの私はトイレットペーパーを買いに外へ出れる筈もなく、エリエール+Waterというテッシュをトイレに行くたびに2枚ほど抜き取り、それをトイレットペーパー代わりに使っていました。なんだかんだ「トイレ」という舞台では、トイレットペーパーが主役なのかもしれませんね。

(主食にできる云々の話、何処へ)